更新日:平成28年7月6日

十日町人十色

十日町市のまちづくりは、市民一人一人の思いが形になったもの。市民の力が十日町市のまちづくり・地域づくりの力であり、十日町市の未来を創ります。

このページでは市報から市民一人一人をピックアップして紹介します。

十日町人十色(市民紹介コーナー)

 

Volume2 山田和成さん

1949年(昭和24年)生まれ。新潟県猟友会十日町支部所属。

土倉集落で生まれ育った山田和成さん。地域の人々はもちろん、地域を取り巻く自然や人々が育む文化とともに生きてきました。「鉄砲打ち」も生活の一部として、技術を身につけ、生きる術としてきました。しかしながら、昔と今では、その役割が違ってきているようです。今回は山田さんから、昔の里山の暮らしと、今の鉄砲打ちの役割を語ってもらいました。

山田和成さんの画像

昔は毎日を生きるため、今は里山を守るため

鉄砲打ちは、地域の一部でした

30歳の頃から狩猟を始めました。集落の男の人はほとんどが鉄砲を撃つことができ、1世帯に1つは鉄砲があったものです。私の家も当然ながら、祖父や父親が鉄砲打ちをしていました。小さい頃は、手作りのスキーで父親の鉄砲打ちに連れて行かれ、撃ち取ったウサギをスキーで踏んづけて捕まえたりしました。

年に1回は集落総出でウサギ狩りをしました。先発隊が5、6匹のウサギを先に集会所に持ってきて捌き、集落の女性がそれをウサギ汁にして男衆の帰りを待っていました。みんな帰ってきたら、酒とウサギ汁で大宴会です。先輩など集落の大勢の人と過ごすその時間がとても楽しかったものです。近所や地域の先輩たちとともに山に入るのが楽しみになりました。
 

 

鉄砲打ちは、生活に欠かせないものでもありました

土倉は昔、冬になると近隣の地域との往来が不便で、まさしく「陸の孤島」でした。日常に使う道具もほとんど自分たちで作っていたし、冬になる前に野菜を保存したり漬物にしたりして蓄えてました。捕獲したウサギやクマなどの獣の肉は大切なたんぱく質でした。皮は売り物にして家計の足しにしました。

鉄砲打ちは私たちが雪深い里山で生きるために欠かせないものだったのです。

 

里山の環境が変化し、鉄砲打ちの役割も変わりました。

集落のウサギ狩りがなくなって20年近くになます。生活も豊かになり、鉄砲打ちをする人も少なくなりました。集落では私一人です。しかしながら、鉄砲打ちは必要でなくなったわけではありません。昔は山の奥まで人が田んぼや畑を作り、管理していました。その管理している範囲がだんだん狭まり、集落の近辺となりました。このことで山にいるクマやタヌキなどの獣も、集落のすぐ近くまで、あるいは集落の中に来るようになりました。

これは、環境が変化しただけでなく、獣の人間に対する「畏れ」もなくなってきたんだと思います。鉄砲打ちが少なくなることと併せて鳥獣の被害が深刻になってきているんです。今は、里山の環境を守るための目的が強くなっています。昔と目的は違えど、変わらずに大切な役割があります。ぜひ若い人にも地域のために仲間になってほしいです。

関連リンク

山田和成さんの「鉄砲打ち」の技を市報とおかまち平成28年2月10日号の連載コーナー「おらほのたから」で紹介しています。ぜひご覧ください。

市報とおかまち平成28年2月10号(PDF:9.7MB)

市報とおかまち

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