とおかまち 10の道を歩く−散歩みち−
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歴史を歩く/米と雪と織物のまち、十日町市。この地の気候が米を育て、雪が織物を生みだした。風土と人が織りなす時の流れは、文化となって成熟し、次の世代へと大切に受け継がれてゆく。
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火焔型土器 花ひらく縄文の文化/縄文時代の暮らしと祈り/4500年前の縄文時代中期、河岸段丘の発達した信濃川流域には、火焔型土器を創り出した人々が、一大文化圏を築いていました。縄文の人々は、何を食べ、どんな暮らしをしていたのでしょうか。


縄文人の暮らし
笹山遺跡や森上遺跡などから、火焔型土器を含む縄文時代の土器や石器、住居跡などが次々と発見されました。用途別にさまざまな形状を持ち、装飾を施した土器や石槍、石器類。これらの道具からは、縄文時代の人々が石槍で獲物をしとめ、石のすり鉢で木の実をすりつぶし、装飾された土器で煮炊きしていた姿が浮かび上がります。

旬の味覚を楽しむ
縄文の人々は食物の豊富な森林や川の近くにムラを作って定住し、四季折々の味覚を楽しんでいました。春は山菜、夏は川魚、秋はサケや木の実、冬はウサギなど。素材を生かした調理法や盛りつけにも凝って、豊かな食生活を送っていたようです。
しかし、いつでも食べ物が手に入るとはいえない、自然に依存する厳しい環境でもありました。そこで、人々は大量に採れた食物を保存し、貯蔵する知恵と技術を編み出します。川で捕れたサケは燻製に、大量の木の実は乾燥させて厳しい冬に備えました。


縄文ムラの暮らし(約4500年前)/たて穴住居の天井は食料やたき木の貯蔵庫であり、炉の周りは仕事場・台所・食堂だった。縄文ムラの暮らし(約4500年前)
たて穴住居の天井は食料やたき木の貯蔵庫であり、炉の周りは仕事場・台所・食堂だった。

■トピック■ 火焔型土器
火焔型土器の分布 力強く華やかな文様をもつこの土器は1982年、笹山遺跡から発掘されました。大きく立ち上がるとっ手が、燃え上がる炎のように見えることから、「火焔型土器」と呼ばれます。日本の原始美術を代表するすぐれた造形美は世界から注目を集め、1999年に新潟県初の国宝に指定されました。火焔型土器は十日町市から長岡市にかけての信濃川沿いに多く出土。縄文人が、食べ物を得やすい川沿いや見晴しの良い台地の上にムラを作り、定住していたことがわかります。

祈りと祭り
このように自然に頼って暮らす縄文人にとって、自然は信仰の対象であり、自然に対する祈りは暮らしの安定を願う重要な儀式でした。狩猟の様子が描かれた土器や動物の形をした土偶には、狩りの安全と収穫を願う人々の祈りが込められています。そして、収穫の後には豊穣の祭りを行い、感謝の祈りを捧げていたと考えられます。
笹山遺跡や森上遺跡などから出土した火焔型土器は、その特殊な形状と燃え上がる炎のような装飾から、祭りなどに使われた非日常的な土器ではないかといわれています。


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