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そもそも屋号とは
都市部ではもうほとんど使われなくなったが、家には家族の姓のほかに、地域の中で通用する家の名前、「屋号」がある。屋号はどこかに届け出る必要もなく、だれでも自由に、いつでも付けられる。そのあいまいさとは対照的に、一度付けると代々続く。たとえその家の主が亡くなっても屋号がなくなることはなく、屋号は家の名前として、新しい世帯主に引き継がれる。たとえば、世帯主である茂兵衛さんの名前をとって「モヘエ」と屋号を付けた家があるとする。茂兵衛さんが亡くなっても、その家は「モヘエ」と呼ばれ、新しい世帯主である息子は「モヘエ」の頭っ子と呼ばれるのだ。
むかしの「家制度」ぬきに、屋号を語ることはできない。家を継承し、土地や財産を守り、繁栄させていくことが務めであったむかしは、個人よりも家、そして、その家が属する地域社会を重んじた。個人のキャラクターよりも、「私はどこそこの家の、こういう立場(続柄)のものである」という情報の方が重要視されていたのだ。屋号は相手にその情報をたくさん与えてくれる。
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屋号にはいくつかのパターンがある
バラエティに富む屋号だが、その由来にはいくつかのパターンがある。たとえばこんなふうに。
● 家の新旧によるもの
「うちは本家(ほんけ)です」
ホンタク(本宅)、オオヤ(大家)
「うちは分家(ぶんけ)です」
シンタク(新宅)、アタシャ(新屋)
● 家の位置や方角、地勢に関係してつけられたもの
オク(奥)、ニシ(西)、サカンシタ(坂の下)、ミヤノウエ(宮の上)、
アッチャンドウ(あっちの堂)、ホシバ(干場)、アイバ(相場)
● 家業を表すもの
コンヤ(紺屋=染めもの屋)、アブラヤ、コウジヤ、カギヤ、カミヤ、アメヤ
● 役割によるもの
オンマエ(御前)、エボシ(烏帽子)、ダイミョウジン(大明神)、ゴンゲンドウ(権現堂)
● 出身地によるもの
エチゴヤ(越後屋)、チチブヤ(秩父屋)、エドヤ(江戸屋)
● 先祖の名前を表すもの
○○兵衛、○○右(左)衛門、○○助
参考文献/柳田國男監修「民俗学辞典」 昭和26年1月31日発行 ・(株)東京堂
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暮らしの中で活躍する屋号
家制度の文化がすたれ、個人が重視される時代になっても、都市部をのぞき、屋号はまだまだ健在。町内会や冠婚葬祭はもちろんのこと、暮らしの中で今もいきいきと活躍している。
たとえば、ノラ仕事で使うカサやカマ、雪掘りで使うスコップにはマジックで屋号を書いておく。油性マジックがなく、道具のほとんどが木製であった時代には屋号の焼き印を押した。寄り合いなどで同じようなゲタがずらっと並んでも、焼き印が履き間違いを防いでくれたという。屋号の印は持ちものを区別し、貸し借りで起こりがちなトラブルをさけるためにも必要な処置だったのだ。
同じ姓の多い集落などでは、家を訪ねるにも、電話で名前を名乗るにも、屋号のほうがすぐに通じる。たとえば「高橋さんの家はどこですか?」と聞いても、逆に「どこの高橋さん?」という具合。「『安兵衛』に行きたいのですが・・・」と屋号を使えば、「ああ、そこだよ」とすんなり解決するのだ。
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今では珍しくなった蔵の家印。むかしはどこの蔵にも大体家印がついていた。
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名前からも、屋号からも電話番号がひける旧松代町電話帳はとっても便利。
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信頼感や連帯感を深める屋号
川西で米とガスを販売している山口屋さんは、帳簿も請求書もほとんど屋号で管理している。帳簿には屋号がずらり。「屋号は世帯主が変わっても、どこの家かすぐに分かって便利」とご主人。一方、よその集落から嫁いだ若奥さんはこの集落に来た当初、屋号と家が一致しなくて苦労したという。配達をしては地図に屋号を書き込んで自分用の屋号マップを作り、地域と家業に積極的に溶けこんでいった。
松代犬伏で設備工事、家電販売修理業を営む柳さんは屋号を社名の一部にした。柳さん家の屋号は「こやどん(紺屋どん)」。そこに今の職業を表す「でんき」を付けて「でんきのこやどん」という。「屋号を使うと通りがいいから」と柳さん。この社名なら、どこの家の人が何をしているかすぐに分かる。社名だから看板はもちろんのこと、申請書も許可証も「でんきのこやどん」だ。屋号を名乗るだけで、代々ストックされてきた「家」情報が一瞬で相手に伝わり、信頼感や連帯感を醸し出す。屋号は地域の中で人間関係を深めるために欠かせないコミュニケーションツールなのだ。
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屋号を社名の一部にした柳さん。会社の所在地もこれならすぐに分かる。
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