とおかまち 10の道を歩く−散歩みち−
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歴史を歩く/米と雪と織物のまち、十日町市。この地の気候が米を育て、雪が織物を生みだした。風土と人が織りなす時の流れは、文化となって成熟し、次の世代へと大切に受け継がれてゆく。
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冬の小白倉 雪とともに生きる/十日町市冬の暮らし/この地に降る雪は、なんと平均積雪深二・四メートル。長い雪との暮らしの中で、この地方には雪と折り合う知恵と、雪を楽しみに変える豊かな感性がはぐくまれました。


雪と冬の暮らし

男はワラ仕事、女は機織り
トントントン、トントントン
刈り入れが終わり、もうすぐ初雪が降ろうかというころ、農家ではワラをヨコヅチでたたく音が響きわたります。そろそろ冬仕度。雪国に欠かせないミノやスッポン、ワラグツなどを作るワラ仕事が始まります。柔らかで保温性のある稲ワラは履き物に最適な素材でした。雪深い冬の間、農家の男たちはジロ(いろり)端でワラを次々に編み上げていきます。年越前には防寒具や節季市で売られるものが作られ、年を越すと春からの農作業に使うナワやワラジなどが作られました。
男の子は父や祖父(じさ)のそばでワラの編み方を覚え、女の子は母や祖母(ばさ)から織物の糸づくりを習い、子守りや家事を手伝いました。長い冬の間、ジロ(いろり)端は一家団らんの場所であり、大切な仕事場、手から手へと技術を伝える大切な継承の場でもあったのです。


ウシノクツ/スッポン/ワラグツ

男性は冬の間に春の農作業で使う道具を編む。
男性は冬の間に春の農作業で使う道具を編む。


機織りは農家の女性の冬仕事だった。
機織りは農家の女性の冬仕事だった。


人情を買う節季市
年の瀬も押し迫った12月になると、いよいよ節季市が始まります。節季市とは季節の終わりに開かれる市のこと。現在は1月に開かれていますが、本来は旧暦の12月に6回の市日がありました。村人たちはワラ細工や竹細工を持ち寄って市で売り、そこで得た現金で正月の買い物をして帰ったのです。「人情を買いにいく」。昔の人はこう言って節季市に出かけたといいます。市は新春を迎える準備の場であり、お互いに助け合う社交の場でもありました。

節季市/別名チンコロ市。米の粉で作ったチンコロ(犬)が、名物として売られていたことからこう呼ばれるようになる。以前は旧暦の12月だったが、今では1月の10、15、20、25日の4回開催される。節季市
別名チンコロ市。米の粉で作ったチンコロ(犬)が、名物として売られていたことからこう呼ばれるようになる。以前は旧暦の12月だったが、今では1月の10、15、20、25日の4回開催される。

雪の中の子どもたち
晴天が広がると、雪原には子どもたちの歓声が響きわたります。竹スキーやコドモソリで遊ぶ子どもたち、厳寒時にはガチに夢中になる子どもも。越後の子どもたちは豪雪をものともせず、子犬のように雪の中を転げ回って遊びます。
コドモソリ
コドモソリ


タヅナ(竹スキー)
タヅナ(竹スキー)


コドモソリで遊ぶ子どもたち。コドモソリで遊ぶ子どもたち。

■トピック■ 雪に遊ぶ −ガチとは−
手まりほどの雪玉を作って互いにぶつけ合い、どの玉が壊れるかによって勝負を競う遊び。子どもたちは雪玉をできるだけ固くしようと雪に塩を混ぜたり、柱に打ちつけたりと工夫を凝らし、勝負を競いました。今も昔も変わらぬ、雪遊びの定番。

雪と冬の外仕事
道踏み
新雪が降り積もった早朝の集落。軒先からグツッ、グツッと雪を踏む音が聞こえてきます。道踏み作業です。子どもたちの通学が始まる前に、ひと1人が歩けるよう道を作るのは道踏み当番の役目。村で道踏み板を回し、順番に行います。
今でこそ除雪車が入りますが、昭和40年代ころまでは、カンジキを履いて雪を踏み固め、道を作りました。カンジキは足が雪に沈まないようにスッポンの下に履く道具。ドカ雪が降った時にはカンジキよりもさらに大きいスカリの出番です。スカリはカンジキの下に履き、先につけた縄ひもを手で持ち上げて、歩行を助けます。その様子は深田の中を歩くのに似ていることから、この地方では「雪をこぐ」と表現されました。


道踏み板/今でいう回覧板。この道踏み板が回ってくると、次に雪が降った日は自分が道踏みに出る。書いてあるのは屋号。スカリ/ドカ雪が降ったらスカリを使う。面積が大きく、脚だけでは持ち上げられないため、先につけた縄を手にもち、脚を助ける。道踏み板
今でいう回覧板。この道踏み板が回ってくると、次に雪が降った日は自分が道踏みに出る。書いてあるのは屋号。
スカリ
ドカ雪が降ったらスカリを使う。面積が大きく、脚だけでは持ち上げられないため、先につけた縄を手にもち、脚を助ける。

雪掘り
屋根の上に雪が1メートルほど積もると、屋根からミシリという音が聞こえてきます。いよいよ「雪掘り」です。家を守るために屋根の雪を取り除くこの作業は、主にコシキ(コスキ)というスコップに似た木の道具を使い、豆腐のように雪を切って屋根の下へと落とします。家の立て込んでいる地域では、屋根雪をロウや油を塗ったユキドヨ(雪樋)に乗せて空地へ滑らせ、手際よく積み上げました。雪掘りは1人ですると屋根から落下したときに危険なため、隣近所で連れ立って行います。このように雪国の暮らしは集落の助け合いにより営まれてきたのです。
雪掘り道具/春が近づき雪が固くしまってくると、コシキでは歯が立たなくなる。人々はユキキリノコギリで、雪を四角に切って運び出した。

雪掘り道具
春が近づき雪が固くしまってくると、コシキでは歯が立たなくなる。人々はユキキリノコギリで、雪を四角に切って運び出した。


雪掘り/多い年では10回以上も雪掘りが行われる。雪掘り
多い年では10回以上も雪掘りが行われる。

■トピック■ 雪を利用する −雪室(ゆきむろ)−
雪を利用する−雪室(ゆきむろ)− 雪室は集めた雪をワラや茅(かや)で覆い、出入口を取りつけて雪を夏まで保存する施設です。料理屋や鮮魚店には、雪を保存し、天然の冷蔵庫として利用する「雪室」を持つ店がありました。又、雪室で保存した雪を売る家も。雪は鮮魚の味を落とさないと言われ、冷蔵庫が出回っても好んで使う店もありました。

雪を楽しみに変える

十日町雪まつり
昭和25年2月。戦後の暮らしもようやく落ち着き、人々の心に平和が戻ってきたころ、第1回十日町雪まつりが開催されました。「雪を楽しんでしまおう」。雪の厳しさも美しさも知り尽くし、雪に愛着があるからこそ生まれる発想の転換。それから早くも五十余回。市民がまいた小さな種は大きく花開き、今では県内外の多くの人を魅了する十日町最大のイベントに成長しました。
ダイナミックな雪像舞台では、きものショーや歌唱ショーが華やかに繰り広げられ、街角には数千個もの雪だるまが並び、訪れる人を歓迎します。
雪に生き、雪に親しみ、雪を誇る。そのたくましく大らかな感性がこのまちの財産であり、新しい夢を育てる原動力なのです。

十日町雪まつり 雪上カーニバル十日町雪まつり 雪上カーニバル

雪原カーニバル(中里)/真っ白な雪原をスノーキャンドルが幻想的に彩る。春を呼ぶこのカーニバルは毎年3月上旬になかさと清津スキー場で開催される。雪原カーニバル(中里)
真っ白な雪原をスノーキャンドルが幻想的に彩る。春を呼ぶこのカーニバルは毎年3月上旬になかさと清津スキー場で開催される。


■トピック■ 雪に親しむ −真夏の雪まつり(松之山)−
雪に親しむ−真夏の雪まつり(松之山)− 松之山の大厳寺高原では、冬に積もったたくさんの雪を保存し、毎年8月、「真夏の雪まつり」が開催されます。豪雪を楽しみに変えてしまおうと始まったこのイベント。この日だけは大人も子どもにかえり、雪の上を転げ回ります。



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