守りから攻めへの転換
知恵と力で渋海川の流れに挑む
山間の入り組んだ地形をぬうように流れる渋海川は、人々にとって、この地一帯を潤す恵みの水であり、同時に蛇行する河道が耕地を分断する少々やっかいな川だった。「川を動かそう」。「少しでも多くの耕地を」という願いから生まれた大胆な発想。山にトンネルを掘って川の流れを引き込み、沢全体を耕地に変える「マブ」。新たな河道を掘って川の流れを変え、元の川底を埋め立てて耕地にする「瀬替え」。人々はツルハシで山を崩し、流れを変えて、元の河道を緑の水田に変えていった。
【インタビュー】
山を崩すのも川を掘るのも
すべてが人の手でした。
「ここにはむかし70メートルくらいの山があったんだ。その山を崩して、新しい河道を掘り、川の流れを引き込んでいった。山の土は元の河道に盛る。そうして新しい田を作っていったんだ」。岩瀬で農業を営む中村昌弘さんは、父親が集落の人々と作業していた様子をこう語る。「機械なんてない時代だからすべて人力でね。冬の間にツルハシで山を崩し、土はモッコで運んだ。新しい河道は下流から掘り始め、土手を作りながら上がっていって川につなげるんだ」。こうして新しい耕地は長い年月をかけて徐々に増えていった。渋海川流域の人々は大胆な発想とねばり強さでこの地を開いてきたのだ。
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岩瀬 中村昌弘さん
中村さんがまだ幼いころは、右手奥のあたりに山があり、その山を崩して川の流れを引き込んだという。
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