【県指定文化財】大井田城跡

更新日:2021年04月01日

大井田城跡にある縦長の石碑とその左に2つの石がある写真
大井田城跡にある左の写真とは違う石碑が立っている写真

大井田城は、鎌倉時代に上野の豪族新田氏一族が進出し土着し、その中の大井田氏が本拠としていたと考えられている城です。現在建物は残っていませんが、大井田城跡として新潟県の文化財に指定されています。1991(平成3)年から「全国大井田氏サミット」が十日町市で開催されています。

大井田城の歴史と構造

大井田城は、南北朝時代、越後南朝方の中心勢力であった大井田氏の本拠であったと伝えられています。大井田氏は、上野国(こうづけのくに:群馬県)の豪族新田氏の一族で、鎌倉時代の中ごろに大井(田)郷に土着し、勢力をふるうようになりました。

1333(元弘3)年、新田義貞が上野国で鎌倉幕府打倒の兵をあげた時、真っ先に馳せ参じたのは、大井田経隆(つねたか)を首領とする越後の新田氏一族でした。これ以後、大井田氏などの一族は、建武の新政(けんむのしんせい)から南北朝時代の動乱期に、南朝方として各地に転戦し勇名をとどろかせました。

城の頂上部には、三角形の主郭(しゅかく:本丸)があり、その西側に2列・3段にわたって階段状に郭(くるわ)が積み重ねられています。これらの郭を取り巻くように2段の帯郭があり、この南側端の山腹斜面に竪堀が掘られ、これに続いて畝型阻塞(うねがたそさい)が設けられています。 このように、西側と南側に敵の攻撃を防ぐための施設が集中していますが、主郭の東側の尾根筋には、二条の空堀が設けられているにすぎません。

大井田城跡の鳥瞰図

大井田城は、その規模や構造などからすると、鎌倉時代末期から南北朝時代(約700年前)にかけて築城され、その後何度か補修や補強が行われ、戦国時代末頃(約400年前)まで使用されたものと考えれらます。

大井田城跡に関する詳しい情報は十日町市博物館のホームページ(下記)をご覧ください。

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