【市指定文化財】新保広大寺節

更新日:2021年04月01日

紫の着物の女性が建物の前で踊っている写真

津軽じょんがら節や八木節の元唄となり、日本民謡のルーツといわれています。保存会により歌と踊りが伝承されており、1984(昭和59)年1月26日に市の無形民俗芸能文化財に指定されました。

越後ごぜ達が唄い広めた「新保広大寺節」は、江戸時代の五大流行唄の筆頭ともいわれています。北上した越後ごぜは、山形、秋田、青森、北海道と唄い歩き、そして「津軽じょんがら節」、「口説節」(くどきぶし)、「道南口説」、「北海道鱈つり唄」などに流れ継がれていきました。

関東方面に上京した越後ごぜによって、このザレ歌は上州風土に合う「木崎音頭」、「八木節」へと変じていったといわれています。南下した越後ごぜは、信州路から甲州路や中仙道へと唄い歩き、「古代神」(こだいじん)、「麦わら節」に変化や影響を与えました。また、三国峠を越えて「八木節」や「船屋唄」のルーツとなり、北へ向かって秋田民謡に影響を与え、青森で「津軽じょんがら節」を生み、更に西へ向かっては、中国地方の民謡「古代神」の元唄となり、全国各地の「口説」の源流となっています。

ごぜとは?

 瞽女(ごぜ)とは、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する女性の盲人芸能者のことです。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓(こきゅう)を弾き唄い、門付巡業を主として生業(なりわい)とした旅芸人です。

歌詞

新保 ナーエ コリャ 広大寺かめくり(花札ばくち)こいて
コリャ 負けた ナーエ 袈裟も衣も ヤーレ みなさえ コリャ 取られた ナーエ

(囃し)
ああいいとも いいとも 一時こうなりゃ 手間でも取るかい ナーエ
あとでもへるかい いいこと知らずの 損とりづらめが いいとも そらこい

新保広大寺に 産屋が出来た お市案ずるな 小僧にするぞ ナーエ

桔梗の 手拭いが 縁つなぐなら おらも染めましょ 桔梗の型てば ナーエ

(囃し)
そうとも素麺 下地が大事だ こいてばコンニャク きんには大事だ
もっとも麦飯 とろろが大事だ おらカカそれより まんこが大事だ
いいとも そらこい

さほど目に立つ お方じゃないが どうやら私の 虫やが好くてば ナーエ

(囃し)
新潟街道の スイカの皮でも 抱いたら離すな 十七島田に 乗ったら降りるな
きっきとこいだら ほっぺに吸い付け いいとも そらこい

新保広大寺が ねぎ喰って死んだ 見れば泣けます ねぎのはたけ ナーエー

殿さ殿さと ゆすぶりおこせば 殿さ砂地の 芋で無いぞ ナーエー

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