Iターン夫婦のくらしぶり

更新日:2021年12月22日

家族4人とヤギが森の前で笑顔でいる

十日町市UIターン情報誌「I'm home! Tokamachi」2020年8月号に掲載された記事です。
(注意)記事内の情報は撮影当時のものです。

プロフィール

中島弘智さん(40代)

横浜市出身。都内で農業関連の出版社に勤め、地方の農村を飛び回る。現在は専業農家。無農薬の子供用米や離乳食米の商品開発にも取り組む。トオコン2019で準グランプリを受賞。

帰る家が欲しい

出張が続く多忙な仕事場。俗に言う「寝るために帰る家」での生活。全国を飛び回る仕事は楽しさもあるが、ふとした時に、「このままで良いのだろうか」と考える。

中島弘智さんは神奈川県で暮らし、都心の出版社で働く会社員だった。きっと、都心で働く多くの人に当てはまるライフスタイル。満員電車での通勤と職場と家を往復する生活は、私達が想像する「東京のサラリーマン」そのもの。

仕事が嫌な訳ではなかったが、それを叶えるキッカケが得られたのは「人生の節目」という後押しがあったからだった。

「30歳という節目に『帰るための家が欲しいな』って考え始めて、長期休暇を使って旅をしていて、出会ったのが十日町市・三ヶ村でした。最初は1週間くらいで東京に戻る予定でしたけどね、周りの人が良くて、もう少し暮らしてみても良いなって思ったんです。」

暮らしが気に入り、中島さんは仕事を辞めた。滞在中に世話役になってくれた 水落八一さんが代表を務めていた農業組合を手伝い、少しの収入を得る。貯金もあったし、何より神奈川に戻るつもりだったから、それでも良かった。三ヶ村での生活が2年目に入る頃、茨城の農業法人に就職が決まった。しかし、収入を確保することだけを目的にした就農に違和感を感じていたという。

彼にとっての「農業」は、自分の暮らしと密接な農業。中山間地での農業を通して、暮らしや家庭、地域が良くなっていくことが必要だった。

「地域が良くなっていく…漠然としてるけど、“八一さん”の言葉がずっと心にあって。」

八一さんが話していたのは「この地域を何とかしたい」という想い。中山間地での農業は平地よりも厳しい。人が減り、村の担い手が歳を重ねるごとに、重なる不安が村の中にあったのだろう。茨城の農業法人への就職を見送り、市内の農家と掛け持ちをしながら三ヶ村で暮らすことを選んだ。

八一さんとの突然の別れ

よそ者だからと必要以上に好奇の目が向けられるわけでもなく、かといって邪険に扱われるでもなく、自然な距離感で大切にされていた。それは中島さんだけではなく、中島さんに会うため月に一度のペースで通っていた交際相手の 「志野さん」 も同じだった。「移住してきた自分のことだけじゃなくて、自分の周りの人間関係全部を地域の人は大切にしてくれました。自分達と地域の間に八一さんが立ってくれていたのが大きかったんだと思います。」

移住した翌年、中島さんはしのさんと結婚。八一さんが運営していた農業組合がふれあいファーム三ヶ村として法人化した時に正社員になり、収入も安定した。

しかし、移住して5年目。2人の子供にも恵まれ、暮らしの土台がかたまり始めた矢先、突然、八一さんが亡くなった。

「村の人たちには、無理して残らなくていいと声をかけてもらっていました。正直、神奈川に帰るという選択肢も考えていたんです。家族で一番に頼っていた人だったので。ただ、自分がいなくなったら、田んぼを維持していくことが大変なことになるのは分かっていました。」

中島さんは八一さんの想いを継いで、法人の役員になり、三ヶ村に残った。気持ちとしては三度目の移住となった。

農業を続けてきた10年を振り返り、これから移住や就農を志す人へ中島さんはこう語る。

「これから、もし農業に憧れて移住を考えるなら『自分自身がどんな農業をしたいのか』を考えておいた方がいい。農業は大規模にも出来るし、収量が少なくても付加価値を高くすることも出来る。収量と販売先が出来てくれば、売上や支出の目処も立てやすい。何よりも変化があった時に頼れるのは自分の中にある農業に対する軸なんです。」

住み続けたいと思える理想の地域に出会うことは難しい。しかし、日々の積み重ねで理想の暮らしに近づいていくことはどんな場所でも出来るのかもしれない。

この記事に関するお問い合わせ先

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