【市指定文化財】笹山遺跡

更新日:2021年04月01日

笹山遺跡は、縄文時代中~後期の集落跡と鎌倉時代から戦国時代の居館跡(ないし集落跡)の重層遺跡です。 昭和55年(1980)から平成25年(2013)の間に、第10次までの本調査と3次の範囲確認調査が行われました。

縄文時代

縄文時代 縄文時代の集落は、中期前葉(約5,500年前頃)に土地利用が始まり、中葉(約5,300~4,800年前)から後・末葉(約4,800~4,500年前)に居住の最盛期を迎え、現在の笹山縄文館付近を中心とする環状ないし馬蹄形状の集落を形成し、後期前葉(約4,300年前頃)の土地利用が最後となりました。 集落としては約1,000年間存続していたものと推定されます。

出土した遺構(施設跡)は、竪穴住居跡13基(炉跡を伴う)、炉跡105基、配石遺構1基、土坑10基、埋設土器(埋甕)30基以上などです。炉跡は、本来は竪穴住居内に設置されたものと推測されます。これらは、直径130メートルほどの環状ないし馬蹄形状に配列されていました。集落の存続した約1,000年間のうちにはおそらくもっと沢山の住居が建設・解体されたと推測されますが、しかし中央広場、廃棄場、墓などの施設跡はまだ発見されてなく、集落の全体像はよく分かっていません。

出土した遺物(道具)は、土器、石器、原石(ベンガラ塊)などです。土器では中期中葉(約5,000年前)の火焔型土器(平成11年に国宝指定。)が有名です。石器では狩猟具(矢尻・石槍)よりも土堀り具(打製石斧)や磨潰し・粉砕具(磨石など)が多く、植物資源を利用することに比重を置いた生活を営んでいたと推測されます。 また、アズキ属の種子やクルミの核が出土したほか、土器にアズキ、ダイズ、エゴマ等の種子圧痕が見つかっており、なかでもダイズは栽培していたものと推測されています。

笹山遺跡の石囲炉の写真

縄文時代の石囲炉

笹山遺跡の復元住居の写真

遺跡広場と復元竪穴住居

鎌倉〜戦国時代

鎌倉時代から戦国時代 鎌倉から戦国時代には波多岐荘(はたきのしょう)または妻有荘(つまりのしょう)と呼ばれていた当地域の支配者層の居館があったと推測されます。中心となる時期は13世紀前半から15世紀後半であることから、鎌倉時代に移入した新田氏一族(里見氏系)の大井田・中条氏と関連するものと推測されます。

出土した遺構は、掘立柱建物跡27基、鍛冶工房跡2基、井戸跡1基などです。現在の笹山縄文館が建つ場所に中心施設があったと考えられています。

出土した遺物は輸入陶磁器の中国産青磁、白磁、朝鮮産の粉青沙器などです。これらは当時の高級品でした。

文化財指定

本遺跡の一部は平成4年に十日町市の文化財(史跡)に指定、保存されています。 また、火焔型土器を中心とする土器、石器、ベンガラ塊(計928点)は平成11年に国宝に指定されました。指定品は十日町市博物館に収蔵、常設展示されています。

未発掘の遺跡広場に縄文時代の竪穴住居2棟が復元設置され、屋内では手の込んだつくりの石囲炉(いしがこいろ。中期末葉:約4,500年前頃)を見ることができます。 野球場正面入口前には説明版と、国宝指定品のうち最も有名な火焔型土器No.1の出土状況を復元したモニュメントを設置しています。

笹山じょうもん市

火焔型土器などの国宝指定を記念して毎年1回、地元主催で「笹山じょうもん市」が開催され、近年では約3,000人の来場者があり賑わっています。

芝生の上に座った人々が女性たちの踊りを見ている写真

地図情報

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